[ID:7622]ラ・ロシュフーコーの格言
ID | 7622 |
---|---|
名前 | ラ・ロシュフーコー |
職業 | 法律家・裁判官 |
カテゴリー | 愛 |
ジャンル | 親子 |
格言 | 世間の人が友愛と呼称するものは、社交・欲望のかけ合い・かけ引き・親切の交換にすぎない。つまり、自愛がつねに何かとくをしようとする一種の取引にすぎない。 |
(英語) | |
意味 |
【ラ・ロシュフーコー】の格言・名言(ランダム表示)
- 嫉妬は恋といっしよに生まれるが、恋が死んでも必ずしもいっし…
- われわれは、われわれの大切な人の死に涙を流しているのだと言…
- 偉人たちも、永びく不運には打ち負かされるところをみると、彼…
- 通常、青年たちに賦与する教育は、第二の自負を彼らに鼓吹する…
- 人が不正を非難するのは、そのことを憎悪するからではなく、む…
- 善良な裁判官における正義は称讃の愛にすぎず、野心ある裁判官…
- 王侯が持っていない徳について称讃するのは、罪を受けずに彼ら…
- あまり利口でない人たちは、一般に自分のおよび得ない事柄につ…
- ありのままの自分を出すほうが自分を偽って見せるより得るもの…
- 人は往々にして恋愛を去って野心に赴くが、野心から恋愛に立ち…
- 媚態をけっして弄さないことを注目させるのもまた、一種の媚態…
- 王侯の寛容は、人民の忠誠をかちとる一つの政略にすぎない。